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ルール、規則と規矩、中国社会は法治国家といえるか (特任教授 柯 隆)


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6月10日 特任教授 柯 隆

(https://o-dan.net/ja/)

 
 ときどき外国人が中国で逮捕・拘束され、外交部(外務省)の報道官は記者会見で中国は法制国家であり、いかなる犯罪も許されないと厳しく記者の質問に答える。この答えにはとくに問題はない。法に則って法に違反したものを逮捕・拘束するのは当たり前のことである。

 問題は報道官がいっている法制国家と海外でよくいわれる法治国家とが同じ概念かどうかである。一般的に、法治、すなわち、法の支配であり、英語に訳すと、rule of lawになる。それに対して、法制は英語に訳すと、rule by lawになる。両者の違いはみた目では、ofとbyの二文字の違いにあると思われるかもしれないが、実は、一般的にいわれている法治(rule of law)と中国でいわれている法制(rule by law)の最大の違いは「法」の中身にある。

 中国語では、法治の法にもっとも近いのは規則である。それに対して、法制の法に近いのは「規矩」である。規則も規矩も中英辞典で調べると、ruleになる。同様に、中日辞典を調べると、二つの単語はいずれもルールと訳されている。要するに、英語と日本語の訳は規則と規矩の違いが訳されていないということである。しかし、両者には決定的な違いが含まれている。

 規則というのはみんなが相談して決めたルールでみんなでそれを守らないといけない。それに対して、規矩は家父長、すなわち、組織のボスが決めたもので、その構成員が全員守らないといけないが、ボス本人がそれを守る必要が必ずしもない。たとえていえば、マフィアのボスが決めたのは規則ではなくて、規矩である。構成員はそれを守らないといけないが、マフィアのボスがそれを守る必要はない。それに対して、交通規則というのはみんなで決めたルールでみんなで守る。

 このように整理すれば、規矩というのは日本語の「決まり」という言葉に近いかもしれない。外交部報道官がいつも口にする法制国家の法は規則というよりも、規矩、すなわち、決まりである。うちのボスが決めることだから、よそ者であっても、それを守らないといけないということである。だから、外国人が逮捕・拘束される。

 一般的に法治国家の基本は法の秩序のもとですべての人が平等である。しかし、規矩を重んずる社会では、社会の構成員が決まりに従わないといけないが、規矩を定めた権力者は規矩を凌駕し、必ずしもそれを守る必要がない。

 一例をあげれば、昨今、上海で実施された都市封鎖(ロックダウン)は緊急事態が宣言されずに、突如として市民が家のなかに閉じ込められた。あまりにも長期間にわたって閉じ込められたので、市民は怒りを抑えきれず、白い防護服を着た警察官に「あなたたちはどんな法律に依拠して私たちを家に閉じ込めるのか」と問い詰めた。そのときに、警察官は「市政府の規定」と答えた。法律ではなく、規定である。しかし、その規定を見せてくれない。要するに、規則はみんなで決めるもので、それを改定するときも、みんなで相談して改定しないといけない。しかし、規矩は権力者が恣意的に改正することができる。市民たちはそれに異議を唱えることができなくて、それに従うしかないということである。

 中国社会で法、規則とルールを軽んじる傾向が今始まった話ではない。数千年の中国社会の家父長制度は儒教と同じ時期(戦国時代)に誕生した「法家」に由来するものである。儒教の代表は孔子だが、法家の代表は韓非という人物でその教えは法に基づいて罰則を厳しくして社会を統治する。このようにみれば、今の中国社会で起きていることが分かりやすいと思われる。

 最後に、中国はなぜ国際法に縛られるのが嫌なのか、ということについて一言を敷衍したい。上の考察からすでに自明になっていると思われるが、国際法は国際社会がみんなで相談して決めたルールであり、みんなで守らないといけない。しかし、中国の権力者はそれは俺が決めたものではないので、従う必要がないと考える。否、俺が決めたものでも、俺の人民が従う必要があるが、俺が従う必要がない。ましてや国際法というのは知らない、というのは本音であろう。