グローバルナビゲーションへ

本文へ

ローカルナビゲーションへ

フッターへ



HOME >  中国展望 (特任教授 柯隆) >  2018年 >  第27回 近代経済学の反省(1月5日)

第27回 近代経済学の反省(1月5日)


このエントリーをはてなブックマークに追加
近代経済学は人々の経済活動を分析するうえで徐々に無力化しつつある。ただし、経済学者のほとんどは近代経済学のあり方について異議を唱えることができない。彼らは自らが受けた経済学的な訓練によって経済の事象を事前に用意された方程式に代入して分析しようとするだけである。その方程式の条件を満たさない経済活動についていくつもの変数を強引に定数と仮定してしまう。実に乱暴な処理法である。

近代経済学の基礎は需要と供給と物価との関係を方程式に代入して分析することである。そのときの仮定条件として、物価が上昇すれば、需要は減少する。逆に供給は増えるようになる。ごもっともの仮定条件だが、物価の上昇はほんとうに需要を押し下げるのか、同時に、ほんとうに供給を増やすことになるのか、もう少し丁寧な分析が必要と思われる。

たとえば、物不足の時代と物溢れる時代という二つの時代において同じように物価が5%下がるからといって、需要は同じ変化を見せることはないはずである。1990年代初期のバブル崩壊以降、日本は20年間デフレを喫した。その間、物価水準は下落したが、需要はほとんど伸びなかった。企業も設備投資を控え、結局のところ、政府は景気を押し上げるために、公共工事を毎年のように増額した。

政府は買い付けを増やしても、市場の有効需要を持続的に押し上げることができない。しかし、その間、円高により日本人の実質所得はドル建てでは逆に拡大した。円高のデメリットを回避するために、日本企業は工場を海外に移転し、日本の国際収支は悪化することはなかった。むろん、工場の海外移転により日本人の若者はいわば就職氷河期に陥った。

しかし、景気の停滞にもかかわらず、有効求人倍率の悪化は一時的な現象に過ぎなかった。とくに、G7のなかで日本の失業率は一貫して最低レベルにある。こうした複雑な経済現象は既存の近代経済学では、納得のいく解説を行うことはできない。

もう一つの例をあげることにしよう。安倍政権になってから、アベノミクスの重要な政策の一つとして、マイナス金利の導入と異次元の金融緩和が実施されている。資本の自由化が実施されている日本で、このような金融政策を安心して実施できる背景には、金利がマイナスに下がっても、日本人が海外へ資本をフライトさせないことがある。しかし、家計(個人)が金融資産の収益性を最大化するならば、円建て金融資産を減らそうとするはずである。日本人家計の投資行動は明らかに反経済学的といえる。

音楽家の坂本龍一氏は、作曲するために、滞在するニューヨークで街中のありのままの音をスマホに録音し、それを音楽にしているようだ。いかにも自然派作曲家の行うことである。

その音楽に対する評価を下す資格はないが、経済学者は経済のツボと経済の脈絡を捉えるために、もうすこし一般家計と個人と投資家の行動を、経済学の既成観念を忘れて、捉えるべきである。既存の経済学の理論的枠組みにはめ込めない現象などを定数と仮定するのではなく、変数として表示すべきである。

経済学者もメディアも各国政府が公表する国内総生産の伸び率を比較するが、既存の経済統計では、こうした比較にはどのような意味があるのだろうか。中国のGDP統計の信ぴょう性はいつも疑われている。世界銀行でさえ、そのオリジナル統計を入手できない。結局のところ、中国政府が公表するGDP統計をそのまま使って、その他の国のGDPと比較してしまう。

私個人としては、過去40年間の「改革・開放」について、一般家計の消費と所得を都市部と農村部に分けて考察する場合、ブームとなる消費財の違いと移り変わりを5年おきに考察して、中国経済の発展の軌跡をたどることにしている。とくに、中国政府が発表するGDPの伸び率よりも、北京と上海の主要幹線道路を通過するコンテナートラックの台数を数えた方が、よほど経済発展の内実を捉えることができると思われる。

中国人の消費行動は社会の流行に左右されやすく、きわめて衝動的である。中国企業の投資にも政府が関与するため、近代経済学の投資関数では、説明できない。とくに、中国人の実質所得がいったいどれぐらいの規模か、毎年どれぐらい伸びているか、おそらく中国人自身もよくわからない。いい加減な所得統計について、上位10%と下位10%との倍率を計算しても、何がいえるのだろうか。それよりも、毎年、テスラやポルシェといった高級車の販売台数とバスの利用者数を比較してみたほうがよほど中国社会の所得格差の実態を掴むことができる。

数学者は株価のトレンドを予測するコンピューターシステムを開発して、投資家に株式の売買を提案する。こうしたシステムは過去の株価の変動をもとに、これからの値動きを予測する。しかし、こうした株価の値動きを予測できても、社会の経済活動を分析する経済学はより有効な経済政策パッケージを提案できるとはかぎらない。経済学は数学というツールをもっと使ってもいいが、同時に、心理学、歴史学、社会学などのエッセンスを取り入れるべきではなかろうか。