第29回 新型コロナ危機からみえたグローバル化時代の弱点(4月10日)
本来ならば、今ごろ、中国の習近平国家主席は来日し、日本を公式訪問するはずだった。また、東京2020オリンピック・パラリンピックの聖火リレーも日本各地を回っている予定だった。新型コロナウイルスの感染拡大により、習主席の訪日もオリパラ開催も延期を余儀なくされた。
このウイルスが最初に現れたのは中国の武漢市だったが、その後、ウイルス感染は中国全土に広がり、さらに全世界に拡大していった。なぜウイルスの感染を封じ込めることができなかったのだろうか。おそらく各国政府も世界保健機関(WHO)もたかがインフルエンザウイルスのようなウイルスであり、ここまで感染が拡大するとは思っていなかったのだろう。また、ウイルスの感染を封じ込める前に、経済成長の維持を最優先にしたこともウイルスの撲滅を阻んでいる。
中国で感染が爆発的に増加したのは2020年1月中旬だった。たまたま春節は1月25日だったため、中国全土が祭りムードに包まれていた。新型コロナウイルスの感染力を軽視し、そのあとのパンデミックがもたらされた。
中国は、2003年にSARS(重症急性呼吸器症候群)の感染拡大を経験した。当時、SARSの感染を北京と広州の二大都市に封じ込めたのは不幸中の幸いだった。また、当時の中国のGDPの世界シェアは4%だったため、ほとんどの中国人は海外旅行に出かける財力がなかった。
2019年の中国のGDPが世界経済に占めるシェアは18%に拡大しており、毎年2億人以上の中国人は海外旅行しているといわれている。2020年1月の中旬と下旬、春節の大型連休を利用して、武漢市民を含め、海外旅行に出かけた中国人家族は少なくなかった。それは新型コロナウイルスの感染が世界に拡大するきっかけとなった。
数年前に、米国人コラムニストのトーマス・フリードマンは「フラット化する世界」を刊行した。フラット化することがグローバル社会の特性であるとすれば、ウイルスにとっても好都合である。かつては、ごくわずかな超金持ちだけが世界旅行を楽しむことができたが、今や、超金持ちは自家用ジェットで海外旅行を楽しむが、新興国の人たちはLCC(格安航空券)を利用して同じように海外旅行を楽しむことができる。
しかも、人類の行動範囲が拡大するにつれ、野生動物の生息地が狭まれてしまっている。とりわけ、中国をはじめ、一部の国と地域では、いまだに野生動物を食用することを習慣にしている。人類が野生動物を犯すことはウイルスに近づいていることに等しい。生物科学者によると、人類が研究などで分かっているウイルスの種類はわずかであり、ほとんどのウイルスは人類にとって未知のものであるといわれている。
次に、中国で新型コロナウイルスの感染が爆発的に増加したにもかかわらず、欧米諸国はなぜその教訓を汲み取らなかったのだろうか。おそらく欧米諸国は、中国での感染拡大を対岸の火事としてみていたに違いない。ヨーロッパからみると、中国は「極東」と表現されているように、遠い彼方の存在になっている。同じようにアメリカ人にとって中国は地球の裏側にある国である。このようなおごりから、欧米諸国の警戒は緩かったといわざるを得ない。
実は、欧米だけでなく、日本の対応も遅くて緩かった。日本にとり、新型コロナウイルスの感染を防ぐにはたっぷりの時間的余裕があった。残念ながら、安倍政権は水際作戦の効果を過信していた。2019年、3000万人以上の外国観光客が旅行に来ていた。2020年はオリパラの年であり、さらに多くの外国人観光客が日本に訪れる予定だった。それなのにどうして水際作戦だけで新型コロナウイルスの侵入を防げるというのだろうか。
しかも、首都圏で毎日の感染者数は二桁から三桁に増えてきたにもかかわらず、安倍政権は緊急事態宣言の発令に躊躇していた。それについて悩む理由は明らかに経済への影響を心配しているからであろう。究極な選択を考えれば、結論を得られやすくなる。新型コロナウイルスによって命を失うか、経済活動の減速で苦しむかの二択を考えれば、明らかに後者を選択される人が多い。
問題なのは、安倍政権はようやく緊急事態宣言を発令したが、どの業種に営業中止を求めるか、あるいは求めないか、悩むばかりである。結局のところ、首都圏に限ってみると、人の出は予想よりも減っていない。簡単にシミュレーションすればわかるように、欧米諸国で実施されているロックダウンはヒトの流れを完全に止めるやり方であり、いわゆる短期決戦型である。それに対して、安倍政権が実施しているのは緩やかな外出自粛要請である。ぬるま湯のような中途半端な自粛要請措置が長期化していくことになれば、逆に経済への影響が大きくなる。
最後に、新型コロナ危機を通してみれば、グローバル社会の弱点がくっきりと見えてくる。ウイルスは目に見えない敵である。それと戦うときに、グローバル社会は一致団結して戦わないといけない。しかし、新型コロナ危機に晒されているグローバル社会の対応をみると、各国はバラバラに対応しており、情報の共有すらなされていない。グローバル社会は明らかに囚人のジレンマに陥っている。
囚人のジレンマはゲーム理論が提示する、複数の囚人が互いに協調するか、あるいは裏切りあうかの選択を考えた場合、互いに協調したほうが最大の利益を得ることができるという考えである。しかし、新型コロナ危機に直面するグローバル社会の協調と協力は明らかに不十分である。なぜそうなったかといえば、グローバル社会を束ねるリーダーが不在であり、世界保健機関(WHO)も機能していないからである。
新型コロナ危機がいつ収束するかは科学者でさえわかっていない。それを完全に封じ込めるには、ワクチンと特効薬の開発が待たれることになる。それまでには、既存の抗ウイルス薬を四苦八苦して試しながら、ヒトの流れを断ち切るしかない。それを実現するには、政治の決断力が求められている。
このウイルスが最初に現れたのは中国の武漢市だったが、その後、ウイルス感染は中国全土に広がり、さらに全世界に拡大していった。なぜウイルスの感染を封じ込めることができなかったのだろうか。おそらく各国政府も世界保健機関(WHO)もたかがインフルエンザウイルスのようなウイルスであり、ここまで感染が拡大するとは思っていなかったのだろう。また、ウイルスの感染を封じ込める前に、経済成長の維持を最優先にしたこともウイルスの撲滅を阻んでいる。
中国で感染が爆発的に増加したのは2020年1月中旬だった。たまたま春節は1月25日だったため、中国全土が祭りムードに包まれていた。新型コロナウイルスの感染力を軽視し、そのあとのパンデミックがもたらされた。
中国は、2003年にSARS(重症急性呼吸器症候群)の感染拡大を経験した。当時、SARSの感染を北京と広州の二大都市に封じ込めたのは不幸中の幸いだった。また、当時の中国のGDPの世界シェアは4%だったため、ほとんどの中国人は海外旅行に出かける財力がなかった。
2019年の中国のGDPが世界経済に占めるシェアは18%に拡大しており、毎年2億人以上の中国人は海外旅行しているといわれている。2020年1月の中旬と下旬、春節の大型連休を利用して、武漢市民を含め、海外旅行に出かけた中国人家族は少なくなかった。それは新型コロナウイルスの感染が世界に拡大するきっかけとなった。
数年前に、米国人コラムニストのトーマス・フリードマンは「フラット化する世界」を刊行した。フラット化することがグローバル社会の特性であるとすれば、ウイルスにとっても好都合である。かつては、ごくわずかな超金持ちだけが世界旅行を楽しむことができたが、今や、超金持ちは自家用ジェットで海外旅行を楽しむが、新興国の人たちはLCC(格安航空券)を利用して同じように海外旅行を楽しむことができる。
しかも、人類の行動範囲が拡大するにつれ、野生動物の生息地が狭まれてしまっている。とりわけ、中国をはじめ、一部の国と地域では、いまだに野生動物を食用することを習慣にしている。人類が野生動物を犯すことはウイルスに近づいていることに等しい。生物科学者によると、人類が研究などで分かっているウイルスの種類はわずかであり、ほとんどのウイルスは人類にとって未知のものであるといわれている。
次に、中国で新型コロナウイルスの感染が爆発的に増加したにもかかわらず、欧米諸国はなぜその教訓を汲み取らなかったのだろうか。おそらく欧米諸国は、中国での感染拡大を対岸の火事としてみていたに違いない。ヨーロッパからみると、中国は「極東」と表現されているように、遠い彼方の存在になっている。同じようにアメリカ人にとって中国は地球の裏側にある国である。このようなおごりから、欧米諸国の警戒は緩かったといわざるを得ない。
実は、欧米だけでなく、日本の対応も遅くて緩かった。日本にとり、新型コロナウイルスの感染を防ぐにはたっぷりの時間的余裕があった。残念ながら、安倍政権は水際作戦の効果を過信していた。2019年、3000万人以上の外国観光客が旅行に来ていた。2020年はオリパラの年であり、さらに多くの外国人観光客が日本に訪れる予定だった。それなのにどうして水際作戦だけで新型コロナウイルスの侵入を防げるというのだろうか。
しかも、首都圏で毎日の感染者数は二桁から三桁に増えてきたにもかかわらず、安倍政権は緊急事態宣言の発令に躊躇していた。それについて悩む理由は明らかに経済への影響を心配しているからであろう。究極な選択を考えれば、結論を得られやすくなる。新型コロナウイルスによって命を失うか、経済活動の減速で苦しむかの二択を考えれば、明らかに後者を選択される人が多い。
問題なのは、安倍政権はようやく緊急事態宣言を発令したが、どの業種に営業中止を求めるか、あるいは求めないか、悩むばかりである。結局のところ、首都圏に限ってみると、人の出は予想よりも減っていない。簡単にシミュレーションすればわかるように、欧米諸国で実施されているロックダウンはヒトの流れを完全に止めるやり方であり、いわゆる短期決戦型である。それに対して、安倍政権が実施しているのは緩やかな外出自粛要請である。ぬるま湯のような中途半端な自粛要請措置が長期化していくことになれば、逆に経済への影響が大きくなる。
最後に、新型コロナ危機を通してみれば、グローバル社会の弱点がくっきりと見えてくる。ウイルスは目に見えない敵である。それと戦うときに、グローバル社会は一致団結して戦わないといけない。しかし、新型コロナ危機に晒されているグローバル社会の対応をみると、各国はバラバラに対応しており、情報の共有すらなされていない。グローバル社会は明らかに囚人のジレンマに陥っている。
囚人のジレンマはゲーム理論が提示する、複数の囚人が互いに協調するか、あるいは裏切りあうかの選択を考えた場合、互いに協調したほうが最大の利益を得ることができるという考えである。しかし、新型コロナ危機に直面するグローバル社会の協調と協力は明らかに不十分である。なぜそうなったかといえば、グローバル社会を束ねるリーダーが不在であり、世界保健機関(WHO)も機能していないからである。
新型コロナ危機がいつ収束するかは科学者でさえわかっていない。それを完全に封じ込めるには、ワクチンと特効薬の開発が待たれることになる。それまでには、既存の抗ウイルス薬を四苦八苦して試しながら、ヒトの流れを断ち切るしかない。それを実現するには、政治の決断力が求められている。