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中国で若者たちは日本語の言葉を使う (特任教授 柯隆)


静岡県立大学グローバル地域センター 
特任教授 柯隆

(UnspashのGlen Nobleが撮影した写真)

日本では、日本文化のルーツが中国にあると一般的にいわれている。日本人と中国人とは同文同種、すなわち、同じ人種で同じ漢字を使う。逆に、日本に旅行に来る中国人観光客が京都と奈良に行くのは中国古代文化を体験するためである。なぜならば、中国では、文化大革命のとき(1966-76年)、古代文化の多くが当時の紅衛兵と呼ばれる若者たちによって壊されてしまった。日本には本物の中国文化が残っているから、中国人に人気が高い。
 実は、近代になってから、日本は中国へ文化を逆輸出しはじめた。個人的には経済を学んでいるものだが、実は、経済という言葉は日本人がeconomyを訳して、中国に伝わって広く使われるようになったといわれている。同じように日本で訳された言葉はたくさんある。幹部もその一つで、中国でも「共産党幹部」といわれるように広くつかわれている。Scienceを「科学」に訳したのも日本人である。
 近代になってから西洋文化は東進するなかで、なぜ日本では、多くの訳語が定着して普及したのに、中国では、中国人による訳語がほとんど使われていないのだろうか。
 そもそも日本に比較して、中国の近代化が遅れていることが原因の一つである。それが原因で中国の学校教育では、四書五経の教育が主流で物理や化学などの科学の教育が貧弱だった。魯迅のような文学者は日本に来て、医学を学んだぐらいだった。約100年間にわたって、日本人が訳した言葉の多くが中国に伝わり、徐々に定着した。もともと中国人は1920年ころ、democracyを徳先生、scienceを賽先生と訳したようだった。のちに日本人の訳、すなわち、民主と科学に統一された。
 1949年、中華人民共和国が成立したあと、毛沢東は厳格な鎖国政策を実施し、諸外国との文化交流がすべて禁止された。わずか交流があったのはソ連(当時)や東欧諸国との交流だった。それでも中国語に翻訳されたトルストイなどの文学作品も毛時代に発禁処分されていた。
 毛時代に生まれた中国人の名前をみると、「王解放」や「李革命」という当時の世相を表すものが多かった。
 1978年、改革・開放以降、諸外国との文化交流は急速に活発化した。日本の映画も中国で上映され、人気を博した。テレサテンの歌が一時期、禁止されていたが、あまりの人気で途中から解禁になった。中国人知識人の間で人気が高いのは小津安二郎監督の映画やフランスとイタリアの白黒の映画である。若者の間で人気が高いのはやはりハリウッド映画である。同時に、日本の漫画やアニメーションも人気が高い。
 このような文化交流によって、実は中国である地殻変動が起きている。自分は日本で生活しているため、長い間、気が付かなかったが、最近、中国の文学者たちに対するインタビューを聞いて気づいたことだが、彼らは社会の流行にたいへん敏感な人たちであり、彼らの会話のなかに日本語の単語がたくさん混ざっている。
 たとえば、もともと中国語には違和感という言葉はなかった。その気持ちを表す言葉として、「奇怪な感じがする」と表現するが、最近の知識人は話し言葉のなかで中国で「違和」あるいは「違和感」を自然に使っている。自分は日本語ができるので、それを聞いて、意味をすぐに分かったが、逆に違和感を強く感じた。もう一つの例を挙げれば、ある中国人小説家はインタビューに答えるとき、答え終わると、必ず中国語で「以上」と付け加える。日本語で以上といわれて、なにもおかしくはないが、中国語で答えの終わりに「以上」といわれると、なんとなく変な感じがする。
 日本語の表現が密かに中国語に入り込んだのはおそらく日本のアニメーションなどによって広く伝わるようになったのだろう。これこそ文化交流の素晴らしいところである。中国人の反日感情が強いと一般的によくいわれるが、このような言葉の浸透をみると、多くの中国人は必ずしも反日的ではないと思われる。