静岡空港新幹線駅を、いま再考する— リニア時代の負担と便益の調整(特任教授 鴨川仁)
静岡県立大学グローバル地域センター
特任教授 鴨川 仁
特任教授 鴨川 仁
リニア中央新幹線をめぐる静岡県の議論は、長く水問題と環境問題を中心に続いてきた。それ自体は当然である。大井川の水資源と南アルプスの自然環境は、県にとって単なるローカルな争点ではなく、地域の暮らしと将来を左右する土台だからだ。県も公式に、工事着手の条件として静岡空港新駅やリニア新駅を求めているわけではないと説明してきたし、県の立場としてはそれでよかったのだと思う。だが、仮に水や環境の論点に一定の解決策が見えたとき、次に避けて通れない問いがある。静岡県は、この国家的プロジェクトから何を得るのか。その問いから、いつまでも逃げるべきではない。
リニア計画における静岡の立場は、冷静に見ればかなり特異である。県内を通過する。駅はない。しかも、地下水、自然環境、さらには工事に伴う地盤・地震リスクへの懸念まで背負う。利益より先に負担が立つ構図である。こういう場合に必要なのは、「賛成か反対か」の情緒的な応酬ではない。公共政策としての負担と便益の調整である。俗に言えばバーターだが、言葉が下品か上品かは本質ではない。本質は、負担だけを引き受けて便益を取りに行かない県でいいのか、という一点に尽きる。補助金や一時金は数年で消える。しかし、交通結節点は地域の骨格を変え、その効果が何十年も残る。だから、静岡が取りに行くべきものは、目先の金ではなく、県の構造を変えるインフラでなければならない。その候補として、私が最も合理的だと考えるのが静岡空港新幹線駅である。富士山静岡空港は2009年に開港した。県や空港の公式情報が示すように、新東名・東名の各インターチェンジから近く、車アクセスに優位性を持つ。さらに静岡県は、国道1号、富士山静岡空港、東名高速、御前崎港を南北につなぐ金谷御前崎連絡道路を「陸・海・空の交通ネットワーク」と位置づけて整備してきた。つまり静岡空港は、旅客空港としてだけでなく、もともと広域交通の結節点に育てる素地を持っているのである。そこに欠けている最後のピースが、新幹線接続だ。
空港の競争力は、滑走路の長さやターミナルの立派さだけで決まらない。どれだけ摩擦なく主要都市圏につながるかで決まる。静岡空港の弱点は、まさにそこにある。逆に言えば、新幹線がつながった瞬間、競争条件は一変する。静岡空港は東京、名古屋、大阪という三大都市圏の中間に位置する。これは地理的事実として非常に強い。しかもインバウンドを考えると、この意味はさらに大きい。ジャパンレールパスでは、東海道・山陽新幹線の「のぞみ」はそのままでは使えず、利用には追加の専用券が必要だ。つまり訪日客の基本動線は、今でも「のぞみ」一辺倒ではない。だから私は、のぞみを止めろとは言わない。こだま停車の再設計でいい。重要なのは、空港を新幹線網の上に乗せること自体である。
ここで強調したいのは、空港と高速鉄道の一体化は、世界では珍しい発想ではないということだ。パリ・シャルルドゴール空港ではTGV駅がターミナル直下にあり、フランクフルト空港には長距離鉄道駅が直結し、アムステルダム・スキポール空港でも鉄道駅はターミナル地下に組み込まれている。中国でも、北京大興空港には高速鉄道が乗り入れている。つまり、空港と高速鉄道をつなぐことは、世界標準の交通設計であって奇策ではない。むしろ、日本の主要空港の方が、この点では遅れている。静岡空港新幹線駅は「夢物語」ではなく、日本がようやく取り組むべき交通政策の一形態にすぎない。
もちろん、JR東海の事情を無視した議論は意味がない。東海道新幹線の生命線は速達性であり、「のぞみ」を増やすことでも減らすことでもダイヤ全体に大きな影響が及ぶ。だから、のぞみ停車を求める必要はない。現実的な設計は、こだま停車の再配分である。既存駅との調整は避けられないが、それもまた政策の仕事だ。請願駅として地元負担で整備された駅には、その分の丁寧なフォローを設計すればよい。必要なのは、「どこかが嫌がるから何もしない」という停止ではなく、県全体として便益を最大化する再設計である。
さらに、静岡空港新幹線駅の価値は平時の利便性だけでは終わらない。富士山静岡空港はA2-BCP(空港業務継続計画)を策定しており、災害時の空港機能維持と早期復旧を明示的に目指している。県の津波浸水想定を見ても、議論の中心は沿岸部の浸水域であり、牧之原台地上の空港はそれとは性格が異なる。加えて、東京都の富士山降灰サイトが示すように、富士山の大規模噴火は交通インフラや都市機能に広域の影響を与えうる。そうした局面で、静岡空港は首都圏近接の代替拠点候補になり得る。東名・新東名・御前崎港に近いことを考えれば、旅客だけでなく物流や広域防災の観点からも意味は大きい。
私は、静岡がリニアに「賛成すべきだ」と言いたいのではない。逆に「反対を貫け」と言いたいのでもない。そうではなく、通過してリスクだけ残る県で終わるなと言いたいのである。県がこれまで、新駅を工事着手の条件として表に出さなかった事情は理解する。だが、県民利益の設計まで遠慮する必要はない。国家的事業に県土の一部を差し出す以上、県の将来を変える対価を求めるのは当然だ。しかも、その対価は一時金ではなく、地域の人流・物流・防災の構造を一変させるものでなければならない。私には、それが静岡空港新幹線駅以外にあるようには見えない。
結局のところ、この問題は品のいい言葉を選ぶかどうかではない。取引と言うのが嫌なら、利益調整と呼べばいい。しかし、呼び名を変えても現実は変わらない。公共事業とは、本来そうした調整の上に成り立つものだ。静岡が今やるべきことは、通過県の悲哀を語り続けることではない。リニアという巨大事業を逆手に取り、静岡を日本の新しい交通結節点として再設計することである。その議論を正面から始める時期に、もう来ている。


