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リアリズムからほど遠い日本の核武装論議(特任助教 西恭之)




1月17日 特任助教 西恭之
日本国民の関心を集めることはなかったが、昨年12月の衆院選の結果、日本の安全保障にとって核武装が有効かどうかを検討すべきとする議員が大幅に増え、世界の関心が集まっている。

実を言えば、核武装をめぐる日本の議論には、日本の安全保障・危機管理政策にありがちな欠陥が象徴的に現れている。

われわれ日本国民は、広島・長崎の被爆の経験を重んじ、核兵器という「手段」の廃絶を願う一方で、諸外国の核武装の「目的」にはそれほど注意を払ってこなかった。

それにもかかわらず、日本の核武装の是非を検討する気運が高まったので、目的と手段が整理されず、日本の現実に合わない一般論に終始する結果、世界に通用する方向性を示すことができていない。

日本の議論の欠陥は、核武装への賛否にかかわらず、「核保有の効果を検討することになれば、核武装を推進するような結論が導き出される」という前提を疑っていないことだ。

この前提から始まる議論は、抑止とは「相手がある話」だということを無視した独り合点に陥っており、「目的」である抑止と、「手段」としての核兵器とを混同している。日本の核兵器が抑止力として機能するためには、相手国に、日本を攻撃することで得られる成果と比べて、日本からの報復核攻撃による損害が多すぎると考えさせることができなければ、意味を持たないのだ。

それでは、日本が単独で核抑止力を備えることが理にかなっているかどうか、整理してみよう。

1)まず、相手国が日本を核攻撃する目的だが、日本の核武装は日米同盟解消を前提としなければ実現できず、日米同盟が終了した時点で、日本が核兵器を保有していなければ、相手国は日本による攻撃を核兵器で抑止する必要はない。それでも日本を核攻撃しようとする場合、その目的は、日本を威嚇して譲歩を強いるためか、日本を一方的に壊滅させることしかない。

2)そのような思考様式を持つ相手国にとって、受け入れられない損害とはなにか。核攻撃によって日本に壊滅的損害を与えた場合でも、自国も日本の報復核攻撃によって回復不能なほどの損害を受け、軍事力を展開する能力までも失うほどであれば、それは「受け入れられない損害」と位置づけられるだろう。

3)ここで、それほどの損害を報復核攻撃によって相手国に与えるには、どれほどの目標を破壊する必要があるのかを検討する段階に入る。例えば、広大な国土と巨大な人口をもつ核保有国・中国について、そこまで踏み込んだ具体的な想定を行わないかぎり、日本の核武装の効果に関する議論は一般論にとどまり、現実的とはなりえない。

かりに、日本が最大の費用対効果を追求して報復核攻撃を考える場合、化石燃料の生産・輸送の拠点、飛行場、海軍基地など1250カ所以上の目標を、それぞれ数十キロトンの核兵器で破壊することによって、エネルギー供給能力と、軍事力を展開する能力を奪うことまで、想定しなければならない。

4)日本が中国から核攻撃を受けたあと、それほど多数の目標に対して使用する報復核戦力だが、日本はどのような形で展開することになるのだろう。例えば、報復のための第二撃核戦力として発見されにくい弾道ミサイル原潜(SSBN)に、それぞれ8発以上のMIRV(複数目標個別誘導弾頭)を搭載した弾道ミサイル(SLBM)24基を積み、海中でパトロールさせるとして、なんと米国海軍の保有する弾道ミサイル原潜に匹敵する12隻以上を必要とするのである。

議論をここまで進めることでようやく、日本が既に保有しているような種類のプルトニウムで、小型の核弾頭を製造できるのかどうか、といった議論の段階に入ることが可能になる。

それにもかかわらず、核武装に関する日本の議論は、「日本は核兵器転用が可能な大量のプルトニウムを保有している」という断片的事実を入口としている。このような、「目的」と「手段」が整理されていないレベルの議論では、「『核武装が割に合うケースの有無』について、日本は真剣に考えてきたのか」「日本の非核三原則は、本当にリアリティを備えた議論から導き出されてきたのか」といった、世界の関心に答えることにはならない。