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旧幕臣と日本の茶業(特任助教 粟倉大輔)


11月5日 特任助教 粟倉大輔
今年(2020年)10月初めのことだが、菊川市を拠点に活動を展開している「劇団静岡県史」から、「戦前期における世界の中の静岡茶」というタイトルで講演を行う機会をいただいた。この劇団静岡県史は、静岡県の歴史を舞台化している劇団で、一昨年(2018年)と昨年(2019年)には、牧之原の茶園開墾を描く演劇を上演している。来年(2021年)の2月には、その続編である「静岡茶航海記」という演劇を公演予定であるが、私の講演もその勉強会の一環として開催された(私の講演以前にも、当センターの「静岡茶の世界を考える懇話会」メンバーである谷本宏太郎氏と吉野亜湖氏も講演をなされている)。

この劇団静岡県史で舞台化された牧之原の茶園開墾事業には、のちに初代静岡県知事となる関口隆吉をはじめ多くの旧幕臣(それまで江戸幕府に仕えていた旗本や御家人)が参加している。彼らは徳川宗家の静岡移住にともない家族とともに同地に移住したものたちで、移住後は静岡藩士となっている。しかしながら、移住者が多数にのぼったために、静岡藩の財政は当初から火の車であった。藩から支給される俸禄(給料)では生活することが難しい旧幕臣たちは、自活の道を模索しなければならなかったのである。ちょうどその頃、日本茶輸出が盛んであったこともあり、彼らの一部は、藩の許可を得て金谷原(牧之原)で茶園開墾に従事することになった。この開墾を契機に、現在の牧之原の大茶園が形成されていくのである。

一方で、明治初期の大蔵省や外務省など中央官庁には、実務官僚として登用された旧幕臣も少なからず存在した。明治新政府の中枢を占めた薩摩藩や長州藩など討幕派出身者には、全国統治(行政面)や対外交渉(外交面)に関する技術や経験を持っているものはいなかった。それらを有していたのは、かつて日本を統治していた幕府に仕えていた旧幕臣たちであった。彼らの力を借りなければ、明治新政府が日本政府としての機能を発揮していくのも覚束ない状況だった。そのことを薩摩出身の大久保利通はよく自覚しており、旧幕臣でも有能な人材であれば積極的に登用することを明言している。新政府に出仕した例としては、勝海舟や榎本武揚、渋沢栄一などが知られているが、彼ら以外にも多くの旧幕臣が新政府の屋台骨を支えていた。

さて、明治期に入っても茶は重要輸出品であったことから、茶業振興も新政府の重要課題のひとつであった。それを推進していくためにも、各地域(府県)の茶の生産量や、国ごとの茶の輸出量を調査・把握する必要があっただろう。このうち、生産量に関する最初の全国的な調査がなされたのは1872(明治5)年である。これはもともとイギリス公使館の依頼で進められたようであるが、政府にとってもこのデータは有用なものであったに違いない。調査は大蔵省が担当したが、すでに前年(1871年)に廃藩置県が断行されて中央集権国家体制になったとはいえ、明治初年でのしかも全国規模の調査であったことから、旧幕臣出身の大蔵官僚たちもこれに関わった可能性が高い。また、調査依頼の受け入れから結果の通達までを行っていたのは、外務省の宮本小一外務大丞(大丞という役職は、卿・大輔・少輔についで省内のナンバー4に相当)であった。この宮本も旧幕臣出身で、幕末には関税をめぐる対外交渉を経験していることから、茶輸出の具体的な状況も認識していたかもしれず、またそのためにこの調査に関わることになったのかもしれない。

資料の制約もありまだはっきりしたことは言えないが、旧幕臣が日本の茶業の発展に果たした役割は、現在知られている以上に大きいものだったのではないだろうか。

参考文献・参考資料

臼井勝美・高村直助・鳥海靖・由井正臣編『日本近現代人名辞典』吉川弘文館、2001年。
安藤優一郎『幕臣たちの明治維新』(講談社現代新書1931)、講談社、2008年。
門松秀樹『明治維新と幕臣』(中公新書2294)、中央公論新社、2014年。
粟倉大輔『日本茶の近代史』蒼天社出版、2017年。
「英国公使館トマスマツクラチ氏ノ依頼ニ付日本国内各所茶産出高調書送付ノ件 明治六年」(JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.B10074351200、見本関係雑件 第一巻(外務省外交史料館))。なお、同資料はアジア歴史資料センターホームページ(http://www.jacar.go.jp/)で閲覧可。