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活かされていない阪神・淡路大震災の教訓(特任教授 小川和久)


11月13日 特任教授 小川和久(特定非営利活動法人・国際変動研究所理事長)
11月4、5の両日、航空自衛隊浜松基地と富士山静岡空港などで緊急消防援助隊中部ブロック合同訓練が行われた。私も総務省消防庁消防審議会の専門委員でもあり、静岡県の危機管理に深く関わる立場から視察したのだが、日本の消防組織の在り方にダメ出しをせざるを得なかった。

日本の消防組織の特徴は、消防隊員・救急隊員など第一線のマンパワーの能力が国際的に見て高水準にある反面、組織としての思想・哲学が存在しない点にある。

今回の合同訓練でも、せっかく中部ブロックの消防部隊と大阪、千葉などの指揮組織が一堂に会し、そこに警察、自衛隊など関係機関が加わる形で、南海トラフ地震などに見舞われた静岡県西部で活動する想定だったが、人と装備を集めても臨機応変に機能するとは考えがたい姿が散見された。

象徴的だったのは、相互運用性(インターオペラビリティ)を考えたことがあるとは思えない消防車両の種類の多さかもしれない。ぴかぴかに磨き上げられた真っ赤な消防車両が、まるで自分たちの組織の存在を誇示するかのように私の目の前を行進していったが、それを使う場面を想像すると絶望的な思いにとらわれた。

災害現場に則して説明しよう。不幸にしてA消防局の隊員が有毒ガスに見舞われて倒れたとする。しかし、消防車両は無傷のままだ。ほかの消防局の隊員が使えるなら、それは有力な戦力となる。しかし、同じような機能を備えた消防車両であっても、レバーの位置からしてまったく違っていれば、それを確認して動かすまでに手間取って活動が遅れてしまう恐れがある。

相互運用性とは、外見などが異なる外国の組織の装備品であっても、本来の機能を発揮するために必要なレバーなどの位置は探さなくてもすむようになっていることだ。軍事組織においては、同盟国間の相互運用性は必須の条件となる。まして同じ国の組織であれば、装備品は同じものになっている。北海道の部隊の自衛隊員が沖縄の部隊の装備品をそのまま使えること、それができなければ国民の生命財産を守ることはできない。

軍事組織である自衛隊とは違うといっても、国民の生命財産を守るという点では消防の任務も同じだ。なぜ、そういう発想で装備品を揃えられないのか。

実を言えば、日本の消防組織には忘れてはならない汚点がある。1995年1月の阪神・淡路大震災の時、応援に駆け付けた消防車のホースがつながらず、消火栓を開く器具の規格もバラバラで消火活動に支障をきたしたのである。

不思議なことに、当時の法令ではホースの太さとともにホースをつなぐための金具の方式が、ねじ込み式とはめ込み式の二通り定められており、両者をつなぐためには媒介金具が必要とされていた。神戸の災害現場に駆け付けた消防士たちは、自分たちが使っているホースの方式が全国統一だと信じ込んでいたから、パニックに陥ったのはいうまでもない。媒介金具をなくしたり、あっても足りないなど惨憺たる有様だった。神戸市の北隣の三田市の器具では神戸市の消火栓を開けられなかった。

原因が市町村単位になっている消防組織の在り方にあるのは明らかだ。問題の克服には少なくとも警察のように都道府県単位にする必要があることは言うまでもない。磨き立てられた消防車両の行進を眺めながら、阪神・淡路大震災の教訓もどこ吹く風の姿に、腹が立ってたまらなかった。