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世界に新時代が到来するのか(特任教授 柯隆)


5月18日 特任教授 柯隆
誰もが平和と繁栄を望んでいるのだろうが、世界では、平和と繁栄がなかなか実現しない。20世紀、世界は二度も大戦を経験し、アジアと欧州の多くの国がそれに巻き込まれ、破滅的なダメージを受けた。戦争が終わってから、世界は復興へと動き出した。しかし、そこから始まったのはcold warという冷戦だった。冷戦の時代でも多くの人が政治の犠牲になった。とくに、旧社会主義国では、知識人が弾圧され、労働者と農民が飢えて数多くの死者が出た。

振り返れば、20世紀までの戦争のほとんどは石油など資源をめぐる争いだった。世界大戦もそうだったが、とくに中東地域での戦争は石油の利権をめぐる熾烈なものだった。いつになったら、世界に平和と繁栄が訪れるのだろうか。

1990年代に入って、冷戦が終結した。それを受け、民主主義体制が勝利したことで日系アメリカ人政治学者のフランシス・フクヤマは歴史の終わりを大胆に予言した。歴史の終わりとは、イデオロギーの論争が終結し、世界に平和と自由が訪れたという考えのようだった。

しかし、世界にほんとうに安定した平和が訪れるのだろうか。

確かに世界大戦と冷戦が終結したが、その負の遺産がいまだに処理されておらず、人々の心の奥にできた傷も完全に癒されていない。そのなかで、政治指導者は政治腐敗という深刻な問題に直面している。経済発展が停滞し、人々の不満と怒りが募る一方の国がむしろ増えている。

経済学の歴史を振り返れば、開発が続く時代においては、安定した成長を持続するための経済政策が絶えず考案されていた。しかし、ここに来て、政治腐敗や貧困撲滅などの問題を解決しないといけないが、経済学は無力のようにみえる。近代経済学の弱点の一つは、人々の経済活動を物理学と同じように科学的に解析しようとしていることだが、人々の欲望を計量化できないという壁にぶつかっている。

1972年、ローマクラブは成長の限界というレポートを発表し、際限なく成長を追求した場合の問題点について警鐘を鳴らした。先人たちの教えに「過ぎたるは猶及ばざるが如し」がある。何ほどもほどほどにしたほうがいいということであるが、人間の弱点はその欲望に駆られて、いつも行き過ぎがちであることだ。

かつて、食糧不足の時代、人々が飢えて多くの人が犠牲になった。今、世界の大半の国では、食糧不足が克服されているが、過度な栄養摂取によって、糖尿病や脂肪肝など生活習慣病が年々若年化し、深刻な社会問題になっている。ここで問われているのは、人間が自己コントロールをできるかどうかである。

政治権力者は自らの権力を際限なく拡張させようとする。ガバナンスのきかない政治体制において政治腐敗はますます蔓延するようになる。

20世紀の戦争が残した負の遺産の一つは領土領海をめぐる関係国の対立である。ある芸術家が国境線のない世界地図を描いたことがある。何とも言えない清潔な世界にみえる。しかし、人間がサルから進化してきた動物であるとすれば、そもそもサルは縄張り意識が非常に強い動物である。むろん、サルは農業ができるほど進化していないため、自然界の食糧の量に制限され、過度に繁殖をしていない。

人間の世界では、とくに20世紀、科学技術は飛躍的に発展し、単位面積当たりの食糧の生産量は10倍近く増えたと計算されている。同時に、医学も飛躍的に発達し、疾病死亡率が大きく低下した。地球が直面するもっとも深刻な問題は人口爆発である。しかも、医学の発達により、主要国では、人口動態は高齢化し、これからの世界は見通せなくなってきた。

歴史が終わったかどうかは定かではないが、このままでは、人類の存続はますます困難になる。だからこそ経済学の使命は経済発展を持続するための政策作りではなく、人類が存続するための知恵を出すことではなかろうか。