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コロナ禍の反省、そのレガシーと展望(特任教授 柯 隆)


7月20日 特任教授 柯 隆

(画像:https://o-dan.net/ja/

 今までの3年間は人類にとって間違いなく悪夢だった。目に見えないウイルスが迫ってきて、人間はなすすべもなく、自分を守るのは人と接触しないことと一枚のマスクだった。都会の繁華街でも、まるでゴーストタウンのようになってしまった。やむを得ず出かけるとき、すべての施設の前で手指消毒の液体の瓶が置かれて、必ず手指消毒を求められる。それだけではなく、検温も行われる。
 
 敵がどこにいるか、分からないが、とにかくやれることはやっておく。毎日の夕刻、マスコミはその日の感染者数と死者数を発表する。人々はそれをみて一喜一憂する。ここ数十年来、人々がこんなパニックを経験するのはおそらくはじめてだったのかもしれない。人間がパニックに陥るのは敵がみえない場合と明日がどうなるかわからないからである。専門家はとにかく不要不急の場合、外出を控えるように呼び掛ける。でも、誰を信じたらいいかわからないから、心のなかで動揺する。
 
 本来、先進国だから感染症対策はきちんと講じているはずである。どうしてこんなにドタバタするのか、不思議である。たとえば、建物のなかで火事が起きたとき、まずスプリンクラーが作動し、防火扉が降りて、延焼を食い止める。同時に、建物のなかにいる人の避難を呼びかけ誘導する。コロナ禍が発生して、空港などの国境封鎖が遅れたのは初動ミスといえる。日本は海に守られている国だからウイルスの侵入を防ぎやすかったはずだった。
 
 そして、ウイルスが蔓延してから、日本にワクチンが不足していることが判明した。ワクチンについて反省すべき点は、アメリカの製薬会社がワクチン開発に成功しているのに、日本の製薬会社はなぜワクチン開発に失敗したのかである。本来、日本は細菌やウイルスの研究に長けている国だったはずである。今回の失敗は行政の問題か企業の経営決断の問題か、きちんと反省すべきである。人材が足りなかったならば、人材を育成すればいい。行政の問題であれば、行政を改革すべきである。企業の経営決断に問題があったとすれば、そのメカニズムを解明しなければならない。

 日本がコロナ禍を克服できたのは日本人のマナーの良さと無関係ではない。もともと日本人は人が集まるところ、大声で会話する人が少ない。この習慣は飛沫感染を防ぐのにかなり助かったと思われる。しかし、感染症予防は人々のマナーの良さだけでは、不十分である。プロの医師と有効なワクチンと薬が不可欠である。今回のコロナ禍を通じて、日本にではプロフェッショナルな感染症予防体制が整備されていないことが判明した。

 今から考えれば、低レベルの問題と思われるかもしれないが、感染が拡大した2020年、日本では、マスクは品薄になってしまった。日本人は世界でマスクをもっとも愛用する民族の一つといえる。毎年春は、花粉症の人にとってまさに地獄であり、マスクは欠かせない。その関係で、多くの家庭では、マスクの備蓄は常にされている。しかし、人々の行動をみると、明らかにパニックになった。それを受けて、マスクを買い溜めすることが増え、供給不足と重なって、店頭では、品薄となった。緊急時に、マスクを自治体を通じて配給すべきだったのかもしれない。

 そのほかに、コロナ禍によって人々の行動様式は完全に変わった。コロナ禍前、基本的に全員出勤しなければならなかったが、今は在宅勤務ができるようになった。会議もリモート開催が増えた。半面、コミュニケーション不足が心配されている。これから在宅勤務を無くすことはできないが、コミュニケーションをきちんととるために、フレキシブルな勤務体制を徹底すべきであろう。要するに、常にコンパクトに臨機応変に対応できる体制づくりが求められている。

 コロナ禍が終息に向かっているが、コロナ禍そのものは終わったわけではない。そのレガシーはかなり長期にわたって、我々に付き纏う。しばらくすると、新しいウイルスが侵入してくる可能性がある。重要なのはコロナ禍のレガシーを踏まえ、きちんと対策を講じておくことである。