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海外修学旅行という体験 (客員講師 横井香織)


4月13日 客員講師 横井 香織
          寧波大学外国語学院外教
 1921年3月1日、台北高等商業学校の2年生28名は、引率教員の西村、松岡とともに海外修学旅行に出発した。乗船したのは貨物船で、石炭やセメントを積んでおり、設備は十分ではなかった。
 最初の訪問地は広東だったのだが、貨物船はすぐに港内に入ることができず、沖合で数日待機したのちにようやく上陸した。一行はその後、シンガポール、バンコク、サイゴン、香港を訪れた。
 広東では、燐寸工業の広東実業公司支配人による講演会を、シンガポールでは商品陳列館長木村増太郎氏の講演会を開催し、現地の事情を学んだ。また、マレー半島ジョホールでは日本人経営のゴム園を、バンコクでは精米所を見学した。宿泊場所や講演の依頼を現地で行うなど、自転車操業のあわただしい旅行であった。
 こうして台北高等商業学校最初の海外修学旅行は、約40日の旅程を終え、4月13日に基隆港に帰港した。この過酷な旅行に参加した学生の一人は、両替商の扱う貨幣の種類が多いことや、ショロンの華僑の活躍に触れ、「聞不如見、見不如触とは吾々ビジネスマンたらんとする者にもまた金言である」と、旅行記に記している。
 これ以後1942年までの22年間に、少なくとも48回の海外修学旅行が行われたことが、資料で確認できる。

当時の面影を残す台北高等商業学校の校舎
(現在は台湾大学所属の建物)

 
 台北高等商業学校は、1919年に「本島ノ内外ニ於テ商業ニ従事セムトスル男子ニ須要ナル高等ノ教育ヲ施ス」ことを目的として「外地」台湾に設立された高等商業機関である。開校2年目に始まった海外修学旅行は、1923年の第3回から、3班の旅行隊を派遣する規模の大きい修学旅行となり、学生個人のテーマを探究する調査旅行として定着していった。渡航先も、南方地域だけでなく朝鮮半島や中国大陸をめぐる旅行に拡大していった。1923年の旅行は、1班「南洋隊」(シンガポール、ジョホール、バンコクなど58日間)、2班「南支隊」(汕頭、香港など13日間)、3班「北支満鮮隊」(青島、天津、北京、平壌、京城など23日間)で、3年生33名が参加した。渡航先では、名所旧跡や戦跡などを見学するだけでなく、現地の日本企業駐在員や卒業生(第4回以降)が世話役となり、各地の商店や工場、企業を視察した。海外調査旅行に参加した学生の多くは、帰台後、報告会や巡回講演会で実体験を語り、文芸誌『鵬翼』や学内学会誌『南支南洋研究』に旅行記を投稿した。この海外調査旅行や学内学会で調査研究を学んだ学生の中には、台湾総督府の調査課や満鉄調査部、台湾銀行、華南銀行、台湾電力会社などに就職し、中国や南方地域に赴任した者がいた。こうしたことから考えると、海外調査旅行は、校是にいう「南方経営」を担う人材育成の事前研修として活用されたといえるだろう。

 20世紀初頭を創立の時期とする「内地」の高等商業学校の事例を参照すると、東京高等商業学校をはじめ、神戸、山口、長崎、小樽、大分など、いずれの高等商業学校(以下、高商)も、朝鮮半島や中国大陸をめぐる旅行を学生に課していた。高商の学生だけでなく、商業学校、農学校、師範学校の学生や、青年団、一般団体などがこの時期にアジア観光に出かけていた。しかし、盛況だったアジア・ツーリズムに待ったをかけたのは戦争だった。1937年以降、「内地」の高商は、海外修学旅行を「一時中止」とした。台北高商の場合は実体験にこだわり、行き先を変更しながら調査旅行を強行した。それでも南方地域への調査旅行は1941年8月の仏領インドシナ・タイを最後に、中国大陸へは1942年7月の「満洲旅行」を最後に中止となった。

 高商史研究は現在、各学校史の段階から、複数の「内地」「外地」の高商の様相を視野に入れた研究へ発展してきている。海外修学旅行は、実際にアジアを歩いた学生たちの記録や報告書、学生の研究会活動、卒業後の動向などをつなぎ合わせて検討し、高商の機能を考えることができる題材の一つである。100年前、アジア観光がこれほど盛んだったことは、あまり認知されていないかもしれない。海外へ渡航しにくい情勢となっている今、20世紀初頭に海外修学旅行を体験した若い人々が、どのようなアジア観や日本観をもつことになったのか、少し立ちどまって考えてみたいと思う。

〈主な参考資料・文献〉
台北高等商業学校校友会編『鵬翼』第1号(1922年)~第9号(1930年)
台北高等商業学校南支南洋経済研究会『南支南洋経済研究会要覧』1932年
台北高等商業学校編『台北高等商業学校一覧』1916年~1940年
松重充浩「戦前・戦中期高等商業学校のアジア調査」(『岩波講座帝国日本の学知』第6巻、岩波書店、2006年)
阿部安成「蝶番としての海外修学旅行:20世紀前期帝国日本と高等商業学校研究の展望」(『一橋大学附属図書館研究開発室年報』第1号、2013年)
写真:当時の面影を残す台北高等商業学校の校舎(現在は台湾大学所属の建物)