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中国人にとっての公と私の関係と日本人の公私意識の違い(特任教授 柯 隆)


5月10日 特任教授 柯 隆

(https://o-dan.net/ja/)

 日本で生活して30年経過した筆者にとってもっとも不思議なことの一つは、社会主義にもっとも適している日本社会は資本主義の道を歩んでいる点である。それに対して、もっとも資本主義に適している中国社会は社会主義の道を歩んでいる。そもそも社会主義とはどういう社会なのだろうか。マルクス、レーニンと毛沢東がそれぞれ定義した社会主義には大きな開きがある。それでも公有制を基礎として、搾取の少ない平等な社会について概ね共通しているようにみえる。
 
 一般的に日本人は公共の利益を重んずる傾向が強い。私企業でも社長は会社を私物化することがないわけではないが、往々にして少ない。とくに大企業になれば、経営者は一定期間おきに交代していく。会社経営の観点からこのやり方が望ましいかどうかは別の問題であるが、定期交代の制度は会社の私物化を防ぐ効果がある。

 それに対して、中国人の公共の利益を重視する意識は極端に低いといわざるを得ない。たとえ国有企業であっても、それを私物化することが多い。近代的な会社制度において経営者に対するガバナンスはもっとも重要といわれている。しかし、中国人経営者がもっとも嫌がるのは自分がガバナンスされることである。この点は政治においても同じ。なぜ中国社会は民主化しないか。それは政治指導者がガバナンスされるのが嫌だからである。

 かつて孫文は「天下為公」という遺訓を残したことがある。筆者のふるさと南京に孫文の陵墓「中山陵」がある。あの上に「天下為公」が書かれている。しかし、孫文の真意を正しく理解している中国人は何人いるのだろうか。皆無とまでいわないが、多くないはずである。多くの中国人にとって公よりも私のほうが大事と考える。なぜ国有企業の経営がよくならないかについて経営学的な分析が多くなされている。たとえば、経営責任が明確になっていないとか、従業員の働く意欲を喚起するためのインセンティブが弱いとか、さまざまな考察があるが、根本的にいえば、中国人経営者と従業員はみんな国有企業を私物化しようとするからである。それを防ぐ制度とシステムをデザインして導入しないと、国有企業の経営はよくならない。

 マルクスが考えていた共産主義は資本論を読むかぎり、搾取をなくし、みんなにとって平等な社会というユートピアである。レーニンはマルクスの夢を実現するために、武力という手段を講じないといけないと考えた。それに対して、毛沢東が提唱した社会主義はマルクスとレーニンの考えから遥かに逸脱したものである。どちらかといえば、それは古代中国の王朝に近いものだった。だからこそ、国有企業の経営を健全化する制度とシステムはほとんど整備されなかった。
 最近、中国では、共同富裕が提唱されている。その文字通りの意味を理解すれば、みんながいっしょに豊かになることである。確かに中国社会を考察すれば、所得格差と資産格差は予想以上に拡大している。しかも、格差を縮小させる制度とシステムが導入されていない。格差を縮小するには、所得税や相続税をきちんと徴収し、社会保障と生活保障を強化しないといけない。中国では、所得調査や資産調査が適切に行われていない。

 もう一つの格差は都市と農村の格差である。現在、3億人近い農民は都市部で出稼ぎしているが、彼らは都市部の住民票を取得できないため、都市部住民と同じような労災や社会保障が付与されていない。だからこそ農民工と呼ばれている。農民工の生活環境と働く環境をみると、まるで奴隷のような存在である。

 では、どのような社会が望ましいのか。毛沢東時代(1949-76年)の中国は確かに平等だったかもしれない。それはみんなが貧しかったという意味で平等だった。言い換えれば、悪平等だった。なにが良い平等かと問われれば、それは機会の平等と答える。結果的にむりやりに平等にした場合、働く意欲が減退してしまう。長い間、日本でも結果に関する平等の傾向があった。近年、企業では成果主義が提唱され、働けば働くほど報われるようになる傾向が少しずつ現れてきている。

(https://o-dan.net/ja/)

 これまでの40年間の中国の歩みを振り返れば、経済の自由化によって働く人が報われるようになった。その分、経済成長が実現できた。しかし、格差の拡大を心配して、結果の平等を目的とする共同富裕を目指すとすれば、かつての毛時代の悪平等に戻ってしまう恐れがある。

 最後にもう一点強調しておかなければならないポイントがある。それは公共の利益を重視すると同時に、私有財産が法的に保護されなければならないという点である。公の大義名分で私の権利を侵害してしまうと、社会はますます不安定になる。公と私に関する意識を考察すれば、日本人と中国人の違いがかなり大きいものになっていることが分かる。