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ウクライナに侵攻したロシアに対する経済制裁の正当性(特任教授 柯 隆)


4月14日 特任教授 柯 隆

Photo by Ehimetalor Akhere Unuabona (https://o-dan.net/ja/)

 ロシアによるウクライナ侵攻は一か月半以上経過し、一向に停戦する兆しがなく、たくさんのウクライナ民間人が犠牲になっている。ロシア軍の蛮行に対して、国際社会は厳しい経済制裁を科している。それについて、一部の評論家はロシアへの経済制裁が停戦に結び付くことがなく、無意味と指摘されている。


 確かに侵略者に対する経済制裁はその侵略行為を止めることができないかもしれないが、だからといってそれが無意味と断定するのはむしろ無責任の主張といわざるを得ない。これらの評論家は経済制裁ではなく、外交努力が重要だと主張する。外交努力を試みるべきだが、それには前提条件がある。それは双方とも武器を置いて交渉のテーブルに着くことである。ロシア軍が戦車やミサイル攻撃を続けるなかで、外交努力を主張するのは机上の空論に過ぎない。

 ここでロシアによるウクライナ侵攻が明白な侵略行為であることを確認しておこう。ロシア政府高官は今回の侵攻の正当性についてできるだけ言及を避けながら、かつてウクライナ政府によるウクライナ国内のロシア系住民に対する迫害を誇張し、ウクライナ政府が新ナチであり、それに侵攻しても当然であると言いたいようだ。

 しかし、仮にウクライナ政府がかつて罪を犯したとしても、ロシア軍はウクライナ政府に対して懲罰を下す権利がないはずである。仮にウクライナ政府が国内のロシア系住民を迫害したとすれば、ロシア政府はそのエビデンスを提示し、国際刑事裁判所に提訴すべきである。そういった法的手続きをいっさい取らずに、いきなりウクライナ政府が新ナチといってそれに侵攻するのは明らかに国際法違反である。

 こうした蛮行を食い止めるためには、外交努力が求められるが、戦争がすでに起きてから、外交努力が必要であるといくら叫んでもまったく無責任であると言わざるを得ない。なぜならば、目の前で多数のウクライナ民間人が殺されているからである。たとえ経済制裁は侵略行為を止めることができなくても、少しも痛みを与えなければ、侵略者はますます侵略行為をエスカレートさせてしまう恐れがある。とくに、経済制裁は一過性のものではなく、少しずつその厳しさを上げていくことでボディブローの効果がいずれ現れると期待される。

 長い目で見れば、ロシアに対する経済制裁は戦争を食い止める即効性の効果こそ低いかもしれないが、長期にわたって国際社会で侵略者を孤立させるという効果が必ず現れる。とくに、今回、ロシアに対する制裁はかつてないほど国際社会のコンセンサスになっている。

 結論的に、ロシアの侵略行為に対して、国際社会が厳しい経済制裁を科すことについてれっきとした正当性があると主張したい。それは戦争を止める即効性のある措置ではないが、国際社会における正義を確立するために、不可欠の措置である。

 ロシアのウクライナ侵攻は、いつ停戦になるかは明らかではないが、プーチンの侵略戦争がすでに失敗したといわざるを得ない。まず、ロシアはウクライナ侵攻をきっかけに国際社会で完全に孤立してしまっている。多国籍企業の大半はすでにロシアを離れている。彼らは短期的にロシアに戻ることはなかろう。そして、プーチンのロシアは国際社会で二度と信頼されなくなる。さらに、ウクライナでの敗戦によってロシアは国際社会で張子の虎とみられるようになる。プーチン大統領は国際社会で自らが恐れられる権威のある存在になるよう目指していたようだが、これからは恐れられることもなく尊敬もされない存在になってしまう可能性が高い。このままいくと、ロシアは再び分裂する可能性すら出てくる。

 最後に、ロシア軍の残酷な侵略行為をみると、日本人の多くはロシアが嫌いと思うようになるだろうが、プーチン大統領とその側近などの侵略者と一般のロシア国民を区別しなければならない。ロシア民族は音楽、文学、絵画など素晴らしい芸術と文化を創造してくれた偉大な民族である。ウクライナ危機をきっかけに一般のロシア人を差別してはならない。この点はポストウクライナ危機の国際社会の平和と範囲を構築するうえでたいへん重要なことである。